「切実さ」が欠けている

黄金町バザールのある拠点に立ち寄ってみた。そこは昔はスナックだったところで、つい最近まで営業していたはずの場所だったので、久々に町を歩いていておやっと思ったのだ。3畳ほどのスペースの中央にミシンが置かれ、壁中にTシャツと小さな人形が貼り付けてある。中にいたアーティストらしき人に聞いたところ、横浜のどこかからTシャツを集めてきてその生地で人形を作って販売しているとのこと。彼自身は黄金町に思い入れがあったり、何らかの関係があるわけでもなく、全国を転々としながら表現活動をしていて、バザール終了後はまた別の場所に移動するらしい。◇彼の発言を聞いて、黄金町のアート化に感じていた違和感の理由がようやくわかった気がした。つまり、アーティストたちにはこの町で生きることへの「切実さ」が決定的に欠けているのだ。かつて黄金町には、文字通り体を張って戦後から50年以上、必死で生きてきた人たちがいた。それが売春だろうがその他の危険な職業だろうが関係ない。アートは健全だからといって、その町の「切実さ」を排除するのは、人の家に土足で踏み込むような行為に近い。◇「切実さ」のない人たちが作る何かが、その土地に根付くはずがないし、そのようなものが浮遊する町がかつての黄金町より健全だとは言えないのではないか。僕はさっきのアーティストに、この町でこの先50年、人形を作り続ける覚悟がありますか?と問いかけたい。